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1963年の日本グランプリは、1963年5月3日と5月4日に鈴鹿サーキットにて決勝レースが行われた。正式名称は「第1回日本グランプリ自動車レース大会」。日本における本格的な自動車レースのはじまりとされる。 == 概要 == === 運営方式 === 4輪レース初の日本グランプリは、1962年11月に開業した鈴鹿サーキット国際レーシングコースで開催された。国内では自動車クラブを中心としてジムカーナやヒルクライムのような活動が行われていたが、今回は専用舗装コースで行われる初の本格的4輪レースとなった。 最初に開催を発表したのはホンダが後援する日本自動車スポーツ協会(JASA)だった。日本グランプリの主催・公認権を持つのは国際自動車連盟(FIA)加盟団体である日本自動車協会(JAA)だったが、財政難から日本自動車連盟(JAF)への吸収合併案が進んでいた。JASAとJAAの間でトラブルが生じ、FIAは今大会のみJASAが主催し、JAFが公認するという形の調停案を示した〔桂木 『日本モーターレース史-第1回日本GPから20年 』 p29-32〕。JAFは出場者に有料の会員登録を要求して反発を招き、JASAが全員分の会費を支払うという一幕もあった〔。 大会日程は2日間に渡り、車種と排気量ごとに10クラスに分けて行われた。翌年の第2回大会まではグランプリ指定のレースはなく、全クラスの成績が等しく扱われた。国産乗用車中心のツーリングカーレースが6クラス、輸入車中心のスポーツカーレースが3クラス。さらにメインイベントとして、海外招待選手による国際スポーツカークラスが2レース行われた。来日メンバーはホンダの中村良夫が友人のジャーナリスト、ジェラール・クロンバックに依頼して集めてもらった。 *5月3日 *9時35分 - C-Iクラス(ツーリングカー400cc以下) *10時40分 - B-Iクラス(スポーツカー1300cc以下) *12時 - C-IVクラス(ツーリングカー1001~1300cc) *13時25分 - B-IIクラス(スポーツカー1301~2500cc) *14時57分 - Aクラス1日目(国際スポーツカー) *16時30分 - C-Vクラス(ツーリングカー1301~1600cc) *5月4日 *8時30分 - C-IIIクラス(ツーリングカー701~1000cc) *9時40分 - B-IIIクラス(GTカー2501cc以上) *11時25分 - C-IIクラス(ツーリングカー401~700cc) *12時40分 - Aクラス2日目(国際スポーツカー) *14時45分 - C-VIクラス(ツーリングカー1601~2000cc) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1963年日本グランプリ (4輪)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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